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タスカルーサ(Tuscaloosa)は、アメリカ合衆国アラバマ州西部に位置する都市。タスカルーサ郡の郡庁所在地である。ブラック・ウォリアー川に面する。人口は79,294人(2003年推計)。同州第5の都市である。都市名は、1540年にモビラの戦いでエルナンド・デ・ソトと戦い敗れたチョクトー族の酋長タスカルーサ(Tascalusa, 黒い戦士の意)にちなんで名づけられた。 タスカルーサはアラバマ大学が本部キャンパスを構える街として知られる。大学は経済的にも文化的にも同市に大きな影響を与えている。同大学はフットボールの古豪としても知られる。 また、同市はアラバマの西部地域の工業、商業、福祉、教育の中心である。ダイムラー・クライスラーがメルセデス・ベンツの北米最初の自動車工場をタスカルーサに建設すると発表したとき、国中から不評を買った。 == 歴史 == のちにブラック・ウォリアー川として知られるようになる瀑布線の付近の地域は古くから西アラバマに命運を追って来た様々なインディアンの部族に知られてきた。タスカルーサの付近が浅瀬となっていて最もうまく渡渉できる最南端の地であった。必然的にインディアンの道路網はこの地で一点に集まった。またその道路網は19世紀初年に勇猛な白人開拓者をこの地域へと導きはじめた。 米英戦争以降白人入植者が大幅に増加し、小さなログ・キャビンの集落がクリーク族の大きな村の近くで川の瀑布線に形成された。入植者はタスカルーサ酋長への敬意からタスカルーサと名づけた。1817年、アラバマが準州となりまた連邦議会がアラバマを合衆国の諸州に加える2日前の1819年12月13日、準州議会がタスカルーサの町に設置された。 1826年から1846年までタスカルーサはアラバマ州の州都であった。この間にアラバマ大学が設置される(1831年)。人口や経済は急速に成長したが州都がモンゴメリーに移動すると人口が激減した。1850年代の精神病院のブライス・ステート病院の設置は市の命運を立て直す支えとなった。南北戦争中、アラバマ州が合衆国を脱退したため、数千人のタスカルーサ市民が連合国軍に従軍した。戦争の最後の数週、合衆国の大部隊が進軍し市を襲撃しアラバマ大学のキャンパスに放火した。タスカルーサもまた、戦いによって多大な被害を受け、南部の蒙った不況もまったく分かち合ったのである。 1890年代、アメリカ陸軍工兵隊によってブラック・ウォリアー川に建設された閘門設備とダムは、州内で鉱山採掘や冶金産業に力を入れている、モビール湾の海港への安価な通路を開いた。20世紀初期、国の経済的な成長に伴ってのアラバマ大学や精神医療設備の成長はタスカルーサの順調な成長の原動力となり、100年経っても衰えないでいる。20世紀後半にはミシュランや日本ビクターなどの巨大な生産工場が設置された。そして、タスカルーサの経済的繁栄の新時代を最も良く体現するものは1993年のメルセデスの施設の増設の発表であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「タスカルーサ (アラバマ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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